南千住製作所の謎?

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平成18年3月
南千住製作所の創業

昭和30年台に入ると、大企業の設備投資が活発化します。朝鮮戦争の反動的不況から立ち直り、昭和30年頃から紙、パルプ産業設備投資額が急激に上昇しまして、とりわけ昭和31年からは20年代後半の3倍、4倍の水準にまで達しました。当社の業績も順調に推移し、資本金も3000万(31年)、6000万円(32年)9000万円(36年)13500万円(37年)と増資をおこなってきました。また増資資金は最新機械設備の導入に当てられ、さらにはカレンダー工場の建設などに当てられました。
 主な生産機は、昭和30年には、75吋上質用長網抄紙機、各種高速ダブルカッター、31年には72吋逆L型4本カレンダー、サーへースリール、密閉式自動混合機、ダブルカッター、32年には10頭竪型湿式連続伸線機、12パット動力ケーブル紙巻機、各種電線機械、33年にはグラシン用20段スーパーカレンダー、SHSG−4型13ダイス伸線機、34年には400m/m×115ボビン撚線機、最新式高速度集合機、35年には回転式捲出機、75吋エアーナイフ式高速度クレーコーターなど世界水準の機種を次々と生み出していきました。
 また昭和35年には米国のプラスチック機械メーカーイーガン社と技術提携し、コーター、ラミネーターなど製品群により厚みを増しました。
 昭和36年には合理化策の一環として社内の鋳物工場を閉鎖、製缶工場の建設を進めました。
 昭和36年には真専之助氏が社長を退き会長に就任、青山佐平治氏が代表取締役に就任致しました。昭和37年の上半期の売上げは約3億6500万円、利益が約2500万円と過去最高となるなど好調を持続、工場の改築、社内設備機械の増設を進めました結局この年度は通期で約7億6千万の売上げ、約5700万円の利益となり、創業以来の最高記録となりました。
 昭和38年には当時当社会長でありました、専真之助氏が亡くなりました。真会長は大正5年に当社に入社し、14年間経営責任者として経営の任に当たりましたがとりわけ電線・電纜関係の開発について力を発揮され、電線を製紙と並ぶ当社主要機種の礎を築いてこられた功労者でありました。またいくつもの公職を歴任、黄綬褒章、紺綬褒賞、勲5等など叙勲の栄誉も授かりました。

 東京オリンピックの年でもあります昭和39年に当社は社是を制定致しました。
 われわれは常に、親和勤勉を尊び、労資の繁栄を図る
 われわれは常に、創意工夫に努め、一流の製品を作る
 われわれは常に、誠実と責任ある生産を通し、社会に貢献する 

 このそしてこの年、先々代社長の高岡久夫が37才で常務に就任しました。創業者荒尾幾吉、池島三省の孫にあたりますが、東京大学工学部卒業後当社に入社し、各部門で経験を積み正に従業員の期待を担って就任致しました。                                          次号へ続く

12月の工場北棟内です。
南千住製作所18年度新卒者2名

昨年は、中間採用で2名技術部門と生産部門に配属しましたが、18年度は新卒で技術部門1名、生産部門1名の内定が決定しております。当社はすでに65歳定年制を採用しておりますが、数年内には多くの定年退職者がでますので、新規採用につきましても積極的に行っていきたいと考えております。特に技術部門、営業部門については新卒だけでなく通年募集体制で人材の確保に努めております。機械メーカーに興味のある方はぜひ総務部門まで連絡をお願い申し上げます。